4回目の登場になります加藤諦三氏ですが、今回は『あなたは、あなたなりに生きれば良い。』についてお伝えします。
1回目は当ブログ<失敗を越えることで人生は開ける(加藤諦三)~失敗は生きている証しでもある>を、
2回目は当ブログ<人生を後悔することになる人・ならない人 パラダイムシフトの心理学(加藤諦三)~いま、苦悩している中高年個人起業家へ無名兵士の言葉~>を、
3回目のは当ブログ<生きることに疲れたあなたが一番にしなければならないこと(加藤諦三)~人生を楽しんでいない中高年個人起業家にこのみにくいアヒルの子がいる~>を、それぞれご参照ください。
加藤氏は、言います。
「よく、『嫌われる勇気』と言われるが、嫌われる勇気ではなく、正しくは『個性化の道を歩く勇気』である。勇気と言ってもよいが、『能力』である。意味ある人生を生きるために必要とされる能力は、『個性化の道を歩く能力』である」
意味ある人生を生きるために必要な『個性化の道を歩く能力』
加藤氏は、この『個性化の道を歩く能力』について、それでは、私たちはその能力をどのように養い、どのように駆使していけばいいのか、ということに具体的には触れていません。本書の主張は一貫して、『生きづらさの原因はすべて、その人の「無意識にある何か」=「内なる障害」にある。それを考えるのが幸への鍵である』ということです。つまり、この主張を多面的に解説している一部分なのです。
この『個性化の道を歩く能力』について、私自身がそれをどんな『力』であるのか考えたときに、それはひとつには『自問自考力』であるとすることで、とても腑に落ちました。そう、「自問自考する力」※1です。
※1「自問自考力Ⓡ」とは、自分で「問い」を立て、自分で深く「考え」、自分にふさわしい「答え」を引き出そうとする力のこと、と私は定義しています。答えありきではないですし、また、すぐに答えが見つからなくてもいいのです。深く考えて意識を焦点化し、自分の中から本当の答えを引き出そうすることが大切、という考え方です。
もう、何者にもなろうとしなくていい
加藤氏は言います。「人生が行き詰まっているかに見えても、その人が無意識の絶望感を意識化できれば、人生は大きく拓けてくる。問題は、その人がなにを言っているかではない。なにを意識しているかではない。『いまの自分に隠されている本当の感情はどのようなものなのか?』ということである」
そうですね。私自身も個人セッションをしている中で、相手の人に「言っていることと、顔の表情にズレがあるな」と感じたり、言っていることに違和感があったら、「それって楽しいですか?」と聴いたりしています。
人って、自分でない何者かになろうとするんですね。それは、自分というものを「Be(あり方)→Do(やり方)→Have(持ち方)」の順で組み立てることをせずに、その逆の「Have(持ち方)→Do(やり方)→Be(あり方)」で組み立てようとしているからです。※2。
※2 このことは体験プレセミナーでもお伝えしています。関連ブログ<~自問自考式体験プレセミナー・スライド紹介①~中高年個人起業家に必要なパーソナリティに紐づいた「引き寄せマインド」>をご参照ください。
「自分を知る努力」が幸せな人生の必須科目
加藤氏は言います。「人は誰でも、生まれてから心理的に未解決な問題を無意識に抱え込んで、違った外見を見せて生きている。その心の底に抱えている問題を、正直に自分に話すことで、自分が自分を理解できるようになる。自分を理解できなければなにも始まらない」
そして、「『自分を知る努力』が幸せな人生の必須科目」であるとー。
私は「努力」という言葉をほとんど使いません。なぜなら、「努力」という言葉に「自己の卑下」や「見返りの期待」などのニュアンスが受けて取れるからです。明石家さんま氏の言葉として、次のようなものがあります。「努力をしていれば報われるー。この考え方は早くやめたほうがええね。こんだけ努力してるのに何でってなると腹が立つやろ。人は見返り求めるとろくなことないからね。見返りなしでできる人が一番素敵な人やね」
「努力」という言葉を使いたいフレーズとして、『自分を知る努力』というフレーズはありだな、と思いました。
もっともっと広い世界があることに気づいてほしい
加藤氏は言います。「たとえ自分に失望していても、視点を変えれば、希望の人生になる。いままで自分が小さな世界に、閉じ込められていた。あるいは自分で自分を閉じ込めていたことに気がついてほしい」
「もっともっと広い世界があることに気づいてほしいー。」
中高年の私たちが影響を受けてきた「教育」や「社会通念」といったものは、「大人へと成長するにつれて、次第に社会のしくみに適合して生きていくことが大事」といったようなものでした。
それは、つまり、自分の「Be(あり方)」よりも、周りからの「期待」を優先して生きるような教えであったのですね。そのため、自分の「Be(あり方)」というものをおざなりにしてしまったのです。その結果、私たちは、いつの間にか、世界観や自我(エゴ)=「固定観念」というもの作り上げたのです。それは、まさに自分でありながら自分ではないような、奇妙な状態を生み出してしまったと言えます。
そのことを、マーガレット・ドラブル(イギリスの女性小説家)は次のように言います。
「ただ期待されているらしいという理由で、そうする必要性も義務もないのに自分の嫌いなことをし続ける状況に自らを追い込むとは、人間とはなんと奇妙なものか」
「世界は本当に広い」。
人は、自分の行く道を数多くの道の中から選ぶことができます。
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