2024年、私の「パーソナリティを活かすしつもん活動(自問自考)」のトップテーマは、「どうなったら最高だろうか?」にしました。
2024年が既にスタートしています。私自身、毎年元旦に自問自考をするために、しつもんとその回答をノートをに書きだす、ということをしています。
なぜなら、人生やビジネスで何より大事なことは、「方向」を明確にすることだからです。自分自身がどの方向に向かっているのかをはっきり意識できれば、人生の質、ビジネスの質は確実に向上します。
みなさんも、「こんな1年になったら最高だ!」というものを、ぜひ言語化してみてください。
ブログ<量子力学からみた「望む未来を引き寄せる仕組み」~時間の流れは一方向だけではない~>では、「未来に現実を観測する」ことで、「望む未来を引き寄せる」という、仕組みについてお伝えしましたが、どんな想いも叶うのであれば、「最高の1年」「最高の未来」になることが嬉しいですよね。
そのために、「どうなったら最高だろうか?」という自問自考を、ぜひ、やってみてください。
人は「目」ではなく、「意識」でモノゴトを見ている
人は「目」ではなく、「意識」でモノゴトを見ています。目に入ったものがすべて情報として脳へ届けられるわけではありません 。
例えば、自分の「鼻」は、意識すれば視界に入ってきますが、普段は視界から消えていますよね。また、虫歯になって歯が痛みだしたことで、いままで氣づかなかった歯医者さんの看板が視界に入ってくるようになります。(これらの現象は、脳幹網様体賦活系(RAS機能)の働きによるものです。ブログ<中高年起業家が知っておきたい「脳幹網様体賦活系(RAS機能)の働き」について>をご参照ください)
なので、幸せな人と不幸せな人のちがいは、どちらに意識を多く向けているかのちがいである、と言えますよね。ということは、人は、意識していることに対してチャンスがつかめるということです。
1年の始まりに限らず、1日の始まりや研修会のスタート、人と会う時など、何か始める(始まる)ときには、まず終わり(終わった状態)に目(意識)を向けるといいのです。2024年は、どんな小さなことでも何かを始めるときには、「これが終わった時には、どうなったら最高だろうか?」の自問自考から始められると、素晴らしい1年になると思います。
「どうして、そのような1年にしたいのだろう?」
そして、しつもんとその回答をノートをに書きだす(言語化をする)ときには、さらに頭の中で次のような自問をしていきます。
「どうして、そのような1年にしたいのだろう?」「そのような1年にするためには何をゴールに設定したらいいだろうか?」
自分自身で納得のいく回答を得るためには、言葉を引き出していく問いかけ(自問)、そして、その回答をさがしにいく思考(自考)が必要なんですね。
「成幸」するための要素としては、ノウハウなどによるものが20%、目的・理由などによるものが80%だと思っています。人が動くためには「目的・理由」が何であるなのかが明確であるほど、原動力(エネルギー)は大きくなります。「何のためにやるのか?」を自問自考すればするほど、意思が強くなり決意は固まっていくのですね。
アドラー心理学の目的論。「人は目標が決まれば、それに向かって歩み出すものなのだ」
アルフレッド・アドラーは次のようにいっています。
「人は目標が決まれば、それに向かって歩み出すものなのだ」
アドラー心理学における「目的論」と言われる考え方です。「目的論」のポイントとしては、次のようなことです。
・「なぜ」と過去の原因を探るのは解説にしかならない、「何のために」と未来の目的を探って解決する
・どこから来たのかではなく、「どこに向かうのか」が重要である
・「すべての行動には目的がある」「すべての感情には目的がある」
「目標」が重要であることの理由には、次のようなことがあげられます。
1つ目は「人生は、あっという間だから」ということ。これは、終末期の人たちの多くが言うこととして、よく紹介されている言葉です。流されたまま生きるのではなく、目標を意識しながら生きていくことの大切さを、実感させられる言葉だと思います。
2つ目は「人生は1回きりの旅だから」ということ。人生はよく旅にたとえられます。旅には羅針盤やガイドブックなど、ナビゲートしてくれるものが必要です。人生のナビゲーターは「目標」なのですね。
3つ目は「人生は他人との比較が多いから」ということ。人は自分と何かを比べたがるもの。目標があれば、目標と現在地との比較になります。しかし、目標がないと、いつまでも他人と比較する人生になりかねないのです。
「問い(しつもん)」は、自分のなかにある「理想の姿」を引き出してくれる
「どうなったら最高だろうか?」という問いは、言い換えれば、「何のために?」という問いと、同じであるとお伝えしました。さらに言うと、「どうなったら最高だろうか?」という問いは、自分のなかにある「理想の姿」を引き出してくれる問いでもある、ということが言えます。なぜ、そういうことが言えるのかというと、それは、そもそも「人は自分のことが一番よく分からない」からです。
人は、自分のことを自分で見ることもできません。つまり、自分で自分のことを客観視できないのです。一番身近にいるのに、一番自分のことがよく分からないのです。だから、「問い(しつもん)」というものがあるのです。⠀
鏡があると自分の姿を見ることができるように、「問い(しつもん)」があると自分の心を見ることができるのですね。⠀「問い(しつもん)」は、自分の心にある「理想の姿」を引き出してくれるのです。
また、一方で、「理想の姿」に向かう前の段階として、現在の行動の目的に氣づくための問いがあります。それは、次のような問いです。
「今は何を大事にしているからこの状態なのだろう?」
「今は何を大事にしているからこの状態なのだろう?」
アドラー心理学における「目的論」のポイントとして、「すべての行動には目的がある」「すべての感情には目的がある」、ということを紹介しました。
それは、つまり、「理想の姿」に向かう前の段階である現状は、既に目的を持って行動した結果、そういう現状になっているということです。なので、現状を生み出したこれまでの行動の目的に氣づくことも大切になります。そのための問いが、次のようなものです。
「今は何を大事にしているからこの状態なのだろう?」
私自身、起業してからも、なぜか行き詰まり感、閉塞感が付きまとっていました。それは、この問いに出会って自問自考して次のようなことが原因だと氣がついたのです。
「潜在意識の領域では、<自分らしさ>を大事にしているのに、顕在意識ではそれをおざなりにして行動しているからだ」
紹介しました2つの問い、「今は何を大事にしているからこの状態なのだろう?」と「どうなったら最高だろうか?」は、いつもセットで持ち歩きたいものです。また、私自身が「座右の問い」としているものを、パーソナリティビジネス成幸研究所~価値観(バリュー)ページで紹介していますので、ご参照ください。
「どうなったら最高だろうか?」の質問をいつも持ち歩きます!ありがとうございます!