今回は、2回目の登場になりますが、田坂広志氏の『人生で起こること すべて良きことー逆境を越える「こころの技法」ー』についてお伝えします。
1回目は関連ブログ<すべては導かれているー逆境を越え、人生を拓く五つの覚悟ー(田坂広志)~いま、逆境にある中高年個人起業家へ>をご参照ください。
さて、田坂氏は、苦労や困難、失敗や敗北、挫折や喪失などの逆境に遭遇したときに、次のような「問い」を自らに投げかけよといいます。
「この出来事は、なぜいま、ここで、自分に起こったのか?」
そして、その問いかけこそが、自らの潜在能力を引き出してくる大切な習慣なのだ、といっています。
この「問いかけの習慣」こそが、感情で振り回されない自分になるためのもの
田坂氏はいいます。
「逆境だと感じたことに対して、この問いかけの習慣を持たないと、出来事に振り回されて感情的な行動や選択をとってしまい、途方に暮れてしまう」
前回1回目のブログでも紹介していますが、田坂氏は次のことを力強く言うのです。
「人生において“成功”は約束されていない、しかし、人生において“成長”は約束されている。だから、人生に起こること、すべてに意味があると申し上げるのであり、人生で起こること、すべて良きことと申し上げるのです」
そうですね。私自身は、「この出来事は、なぜいま、ここで、自分に起こったのか?」という問いを立てる習慣が身につくことで、それこそ、「成長」のみならず「成幸」にも、近づいていけるものと思っています。
「この人生とまったく同じ人生をもう一度生きよ、と問われたなら?」
田坂氏はいいます。
「我々が、何十年かの人生を歩み、いつか、その最期の一瞬を迎えるとき、我々の枕元に、一人の不思議な人物が立つのです。そして、その人物は、我々に、この問いを、問うのです。
『いま、ひとつの人生を終えようとしている、お前。もし、お前がこの人生とまったく同じ人生をもう一度生きよと問われたならば “しかり” と答えることができるか』
これは、まさに “究極の問い” 。
これまでの人生で与えられた、すべての出来事を、あの苦労も困難も、失敗も敗北も、挫折も喪失も、すべての逆境を含めて、“肯定” できるか、という問いです」
「人生の最期に問われる、この“究極の問い”に対して、我々はどう答えるのか」-。
田坂氏は読者にそう問いかけてきます。
そして、田坂氏自身は、その問いに「しかり」と答えたいといいます。
私自身は、この問いに「しかり」と答えられるのか-。
私自身は、この「この人生とまったく同じ人生をもう一度生きよという問いに“しかり”と答えられるか?」の問いに、どう答えるのか-。
うーん。もう既に、そのように迷っている時点で、「しかり」とは答えられない、ということなのでしょうね。この問いに「しかり」と答えられるということは、自分の人生に与えられた、苦労も困難も、失敗も敗北も、挫折も喪失も、辛さや苦しさ、寂しさや悲しみといったものすべてを含めて、もう一度体験することに、「許可を出す」ということです。
私には、「許可を出す」ことが出来ないですね。「あの体験」をもう一度体験するのは、やはりイヤです。イヤというより、ヘタしたら死んでしまうかもしれないので。
「あの体験」の詳細については、拙書『鳴かず飛ばずの中高年サラリーマンが、アドラーの「人生の意味の心理学」を通勤電車で読んだら・・・-いまから人生を大逆転させる、“アドラー流”令和時代の生き方・働き方-』をお読みいただければと思います。
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自分の花を咲かせること。意味ある人生を生きている以上、失敗は必ずある。
なぜ、田坂氏は、その問いに「しかり」と答えたいと思っているのか。それは次のような理由からだといいます。
「その“逆境”のお陰で、一人の人間として成長できたからです。そして、当時は“最も辛い逆境”と思えた、挫折も大病も喪失も、いま、振り返れば、そこには、すべて、深い意味があったからです」
私はここでひとつの疑問が浮かびました。
田坂氏は先のセリフの中で、「まったく同じ人生をもう一度生きよ」という問いと、「これまでの人生で与えられたすべての出来事を“肯定”できるか」という問いとを、同じものとして投げかけていますが、私はそれぞれの問いが、別のもの(別のことを意味するもの)であると思っています。
なぜなら、先ほどお伝えしましたように、私自身は「あの体験」をもう一度体験することは、やはりイヤなのですが、田坂氏と同じように、「その体験」があったからこそ一人の人間として成長できたことや、当時は「最も辛い体験」と思えたことも深い意味があったことなどは、理解している(共感している)からです。
しかし、一人の人間として成長したいという思いはあるものの、もう一度「あの体験」をするのかと思うと、やはり抵抗があります。
私は、自分自身の人生には「YES」といいますが、もう一度同じ人生をするかといわれれば「NO」といいます。
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