今回は、2回目の登場になりますが、加藤諦三氏の著書『人生を後悔することになる人・ならない人 パラダイムシフトの心理学』からお伝えします。
1回目は当ブログ<失敗を越えることで人生は開ける(加藤諦三)~失敗は生きている証しでもある>をご参照ください。
加藤氏は、本書の「はじめに」のところで、「人生を後悔することになる人・ならない人」についてのご自身の考えを述べています。
「人が幸せになる絶対条件は、自分自身であること」「苦しいことを乗り切って成長すること」
そして、それらは、「心の葛藤に直面することは苦しいが、それが成長、解放と救済に通じるのだ」と語りかけています。
苦しまなければ、人の心はわからない
加藤氏はいいます。
「苦しまなければ、人生を理解することはできない」
私自身、これまでの人生、ずいぶん苦悩してきたと思います。「ずいぶん」というのは、私自身が成長していくためには、「そのぶんだけ」の苦悩が必要だった、ということでしょうし、その必要性も今となればわかります。
人生についてはまだまだわからないことだらけですが、加藤氏の言葉を受け止めることができるようになった私自身は、やはり、成長しているのだと感じることができます。
また、加藤氏は、カール・ヒルティの『幸福論』から、次のような言葉を引用しています。
「大きな苦痛を知らず、自分の自我の大敗北を体験せず、失意の底に沈んだことのない者は、ものの役に立たない」
「あなたの認めたくないものは何ですか?」
加藤氏はいいます。
「苦しみとは、自分の現実を認めることである。自分の誤りを認めることである」
そして、続けて、読者に問いかけてきます。
「あなたの認めたくないものは何ですか?」
私自身の「認めたくないもの」って何だろう?
この加藤氏の問いは、以前、当ブログ<2024年の自問自考(しつもん)のトップテーマは「どうなったら最高だろうか?」にしました>で紹介しました、次の問いとよく似ています。
「今は何を大事にしているからこの状態なのだろう?」
これは、アドラー心理学の「目的論」である、「すべての行動には目的がある」「すべての感情には目的がある」という考え方において、人は意識せずとも「何らかのこだわり」が現状(今の状態)を生み出しているのだ、ということを紹介したものです。
それは、つまり、「認めたくないもの=(無意識も含めた)こだわり」という図式が成り立つのです。
苦悩に意味を発見した人が、パラダイムシフトできた人である。
苦悩に意味を発見した人が、「パラダイムシフト」できた人である-。
加藤氏は、ここでいう「パラダイムシフト」とは、生きることを違った視点から見ることができるようになることである、といいます。本書のサブタイトルである「パラダイムシフトの心理学」とは、こういうことだったのですね。
加藤氏は、ここで、『夜と霧』の著者であるビクトール・フランクルの言葉を紹介しています。
「自分の生の意味を知る人は、外の苦境や内の障害を克服できる」
そもそも、いま「自分の外側」で起こっている現象や状況は、「自分の内側(意識状態)」の現れです。鏡の法則ともいいますね。
フランクルのいうところ、その意味は、「人生に意味を見いだせたとき、“内の障害”を克服でき、さらに“外の苦境”をも克服できる」ということなのだと思っています。
冒頭に紹介しました、「人が幸せになる絶対条件は、自分自身であること」、「苦しいことを乗り切って成長すること」、そして、「認めたくないものを認めること・自分の現実を認めること」など、これらを乗り越えて(パラダイムシフトして)いくかどうかで、『人生を後悔することになる人・ならない人』に分かれていくのではないでしょうか。
私自身の苦悩体験については、拙書『鳴かず飛ばずの中高年サラリーマンが、アドラーの「人生の意味の心理学」を通勤電車で読んだら・・・-いまから人生を大逆転させる、“アドラー流”令和時代の生き方・働き方-』をお読みいただければと思います。
目の前の現実にきちんと向き合うことからはじめよう。~無名兵士の言葉~
私は、いまも、次のような問いを立てるときがあります。
「なぜ、神様は私にあれほどの苦悩を与えたのだろうか?」
あとから思えば、あの「圧倒的な暗いトンネルの体験」は、神様が私にもっと人として成長するようにと、試練と修行の機会を与えてくれたのだとわかります。
そして、その問いを立てるたびに、思い出す言葉があります。
それは、ニューヨーク大学付属ラスク・リハビリテーション研究所のロビーに掲げられた、アメリカ南北戦争で敗北した南軍の無名兵士のものとされている言葉です。(加藤氏も本書で紹介しています)
~「悩める人々へ」 無名兵士の言葉~
大きなことを成し遂げるために強さを求めたのに
謙遜さを学ぶようにと弱さを授かった。
偉大なことができるようにと健康を求めたのに
より良きことをするようにと病気を賜った。
幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと貧困を授かった。
世の人々の賞賛を得ようと成功を求めたのに
得意にならないようにと失敗を授かった。
人生を楽しむためにあらゆるものを求めたのに
あらゆるものを慈しむために人生を賜った。
求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた。
神の意に添わぬものであるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りはすべて叶えられた。
私はもっとも豊かに祝福された。
この無銘兵士は、もし、求めたものがすべて手に入ったとしたら、幸せになれたでしょうか。もうおわかりだと思います。この兵士が幸せになるためには、自ら変わる必要があったのです。そして、変わるためには、「弱さや病気、貧困、失敗」を授かる必要があったのです。これらを授かったときは苦しいけれども、それを受けとめて悩み抜いたことで、謙虚になり、素直になり、成長することができて祝福されたのです。
さまざまな苦悩を乗り越えたこの兵士は、敗北を経験した者だけが味わえる幸せをつかんだのです。
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