今回は、3回目の登場になります加藤諦三氏の『生きることに疲れたあなたが一番にしなければならないこと』についてお伝えします。
1回目は当ブログ<失敗を越えることで人生は開ける(加藤諦三)~失敗は生きている証しでもある>を、
2回目は当ブログ<人生を後悔することになる人・ならない人 パラダイムシフトの心理学(加藤諦三)~いま、苦悩している中高年個人起業家へ無名兵士の言葉~>をそれぞれご参照ください。
加藤氏は、言います。
「人間関係で努力しているが、うまくいっていないケースがものすごく多い。なぜ努力が報われないのか?その本質は、自分が自分自身を分かっていないからです。つまり相手が分かっていないからです。要するに自分も相手も分かっていないのです。アドラーの言葉を借りれば、『共同体感情の欠如』です。仲間意識がない、心のふれあいがない。そういう人が必死で努力している」
そうですね。アドラー心理学でいうところの「共同体感覚※」を養っていかなければ、また、「自分を知る」という努力をしていかなければ、人間関係の悩みは尽きないものとなるでしょうね。※加藤氏は「共同体感情」という言葉で表現しています。「共同体感覚」について、詳しくは関連ブログ<「人生の意味の心理学」~ライフスタイルを知りたい中高年個人起業家へ~その②>をご参照ください。
「人間のすべての悩みは人間関係の悩みである」
アドラーは、「人間のすべての悩みは人間関係の悩みである」といいました。
アドラーがそのように言うのは、そもそも「人間は人間関係の中で生きている」という、本質的なことが前提にあるからです。
つまり、それは、「自分の人生はどういう人生であったのか?」という問いが、そのまま「自分はどういう人間関係の中で生きてきたのか?」という問いに置き換えられるからです。
中高年となっても、意識して「共同体感覚」を養っていこうしていないのならば、それは、いつまでも「鳴かず飛ばず」といった状態から抜け出すことができません。(「鳴かず飛ばず」状態から抜け出すことについて、詳しくは拙著『鳴かず飛ばずの中高年サラリーマンが、アドラーの「人生の意味の心理学」を通勤電車で読んだら・・・-いまから人生を大逆転させる、“アドラー流”令和時代の生き方・働き方-』をご参照ください)
「自分がどういう人間関係の中で成長したのか」
また、加藤氏は次のようにいいます。
「要するに共同体感情なしに、人生の諸問題は解決できないと、精神科医で心理学者のアドラーは言いましたけれども、私に言わせれば、自分がどういう人間関係の中で成長したのか、その時にどういう価値観を身につけてしまったのかを考えないと、人生の諸問題を解決するのは難しいということです。つまりこれが自分の認識の仕方を決めているわけです。自分がなぜここでいうように感じるかということを反省する。認識の仕方というのはものすごく大切です」
そうですね。私もそう思います。
では、なぜ、私たちは目の前の出来事をそのような認識の仕方するのでしょうか。
それは、私たちは「無意識の思い込み(アンコンシャス・バイアス)」によって動いているからですね。
人は「無意識の思い込み(アンコンシャス・バイアス)」によって動いている
「無意識の思い込み」「無意識の偏見」「無意識の偏ったものの見方」などは、英語で「アンコンシャス・バイアス(Unconscious bias)」と表現されているものです。この「無意識の思い込み(アンコンシャス・バイアス)」に大きな影響を与えていたのが、「脳幹網様体賦活系(RAS機能)」なのです。
このバイアス(フィルター)がかかることで、自分の「思い」というものが、「自問自考」ではなく「他問他考」によって作りあげられてしまうのですね。その結果、本来の自分の「望み」とは違った「思い」で、自らを包み込んでしまうのです。※
※詳しくは関連ブログ<~中高年起業家が知っておきたい「脳幹網様体賦活系(RAS機能)の働き」について~>をご参照ください。
私たちは「自分の認識の仕方」をつかさどる、「自分のパーソナリティ(個性、らしさ)」というものを客観的に知っておくことが大切です。
なぜなら、自分のいまのパーソナリティ(個性、らしさ)がどのようなものかを知らないと、なぜ自分が目の前の出来事に対してそう認識するのかがわからないからです。
まずは、自分のパーソナリティ(個性、らしさ)を意識化することがすべてのはじまりです。また、それは自己棚卸からはじめるということでもあります。※
※詳しくは関連ブログ<パーソナリティビジネスは中高年個人起業家自身の「自己棚卸」を深く実施してからリスタートさせる>をご参照ください。
何かを変えよう、新しい世界へ進もう、本来の自分に還ろう、そう思ったときに、いままで無意識でやっていることに意識を向けることが求められるのです。
「人生を楽しんでいない人に、このみにくいアヒルの子がいる」
加藤氏はいいます。
『「みにくいアヒルの子」の話では、みにくいアヒルの子は卵からかえったときに、最初の「囚われ」に陥った。すぐそばにいた大きなアヒルを見て、それが母親だと「決めた」のである。そして、兄弟たちからいじめられると、自分はみにくいという2度目の囚われに陥った。これはまさに囚われです。自分の生きている世界に対する見方が、事実として間違っている。しかし、そう思い込んだのである。
人生を楽しんでいない人に、このみにくいアヒルの子がいる。そして自分がみにくいアヒルの子であることに最期まで気がつかない』
「自分がみにくいアヒルの子であることに最期まで気がつかない」。そう加藤氏はいいます。
私たちは、印象に残った出来事に対して、ある「思い込み」をつくり上げてしまいます。そして、その「思い込み」は、同じような出来事に出会うたびに強固なものになっていきます。加藤氏のいうところの「囚われ」とは、このようなことをいっているのでしょう。
そんな「思い込み」に人生の最期まで氣が付かないとは、人はやはり、「自分のことは自分一人では氣付けない」ものなのですね。
そして、もし、あなたもモヤモヤ感に囚われ、なかなか活動が広がらない、売上が上がらない、続かない、思ったよりも楽しくない・・・。
そんなことが起こっているなら、この「囚われ」の問題だと思います。
「あー、私は迷走している・・・」「いまひとつカタチになっていない・・・」って感じているなら、当講座の『自分らしい「ビジネス設計図」/「引き寄せマインド」の再構築プログラム』に自己投資されてみてはいかがでしょうか。
そこにいる環境から自分はこういう自分なのだと決めつけてしまう。決めつけることでブレはなくなるのかもしれない。でも、それが違う自分だということもあるのだ。だから自分に質問する。
さくらさん、ありがとうございます。
自分自身に問いを投げかける、という習慣を身につけたいですね。