今回は、「想定外の時代生き抜くために必要な『自分に問う』力」をテーマに書かれた書籍、齋藤孝氏の『本質をつかみ深く考える力が身につく 自分に問うということ。』を取り上げます。
本書の目次に沿って、私自身の意見・感想をお伝えします。
『本質をつかみ深く考える力が身につく 自分に問うということ。』
目次
・はじめに
・第1章 「自問する力」とは何か?
・第2章 自問力とは「自考力」 ― 深い思考は自分との対話から
・第3章 自問力とは「自制力」 ― なぜ軽はずみな言動をしてしまうのか?
・第4章 自問力とは「自整力」 ― 自分の心と体を整える
・第5章 「自問する力」を伸ばす ―― 自問のワザ化と習慣化
・おわりに
なお、このブログはnote記事として掲載しております。

■はじめに
齋藤氏はいいます。
「近年、現代人は世代を問わず“あまり自問していない”ように想えます」
齋藤氏は、その理由として、現代はインターネットやAIが深く生活に入り込んでいるため、自分からアクションを起こさなくても、簡単にあらゆる情報が手に入ることをあげています。
そうですねぇ。
このことについては、当方で提唱している『自問自考力Ⓡ』の思想に、通づるものがあります。
『自問自考力Ⓡ』の思想を、以下に簡単に紹介します。
~いま、世の中では、いたるところで「誰かの答え」が語られています。「こうしたら上手くいった」という他人の答えを、多くの人が知りたがっているからなのですね。
しかし、それはあくまで「他問他答(たもんたとう)」です。
「誰かの問い」、「誰かの答え」でしかありません。
でも、いま、自分が置かれている状況は、自分の目の前にしかないもの。
なので、本当に見つけないといけないのは、「自分の問い」、「自分の考え」、「自分の答え」なのです。~
齋藤氏はこういった現状に対して、次のように警鐘を鳴らしています。
「自問が足りていないということは、それによってもたらされる“深い思考”も足りていないということ。自問の欠如、思考の停止にもつながるのです」
そして、【はじめに】の結びにおいて、次の言葉で締めています。
「“自分は普段から自分に問いかけているだろうか?”
まずは、そう自問することから始めてみてください」
はい、では、ここで一旦、一息入れて、斎藤氏からの問いに
はい/いいえ で答えてみてくださいね。

■第1章 「自問する力」とは何か?
齋藤氏はいいます。
「“自らに問いかける”とは、自己理解(自分を知ること)であり、自省(自分を省みること)でもあります。
そして、それは自己成長を促す力でもあるのです。自分は何をしたいのか。何をしているのか。どうなりたいのか。
自問とは、自分自身を疑うことでもあります」
いいですねぇ。
私自身は、「自問」することによって得られるものに、大きく2つのものがあると思っています。
それは、一つには斎藤氏のいう「自分を知ること」。
そして、もう一つには「課題を解決すること」です。
例えば、「今、解決したい課題は何だろうか?」と、自問したとき、その課題と対処方法がいくつか浮かんでくると思います。
そして、なぜその課題なのか、なぜ対処方法を選んだのか、と自問していったら、答えの行き着くところは「こういう自分だから」という「知ってる自分」が前提になっていたと氣付くはずです。
なので、答えを導き出すときには、「自分を知ってること」がとても大事になるのです。
ちなみに、齋藤氏も、「自問」という行為は、目的によって大きく2つに大別できるといい、それは「哲学的・倫理的な自問」と「実用的な自問」であるといっています。
(通じる~!(^.^)/~~~)

■第2章 自問力とは「自考力」
「人が成長するのは答えを得たときではなく、“問い(疑問)”を持ったときなのです」
齋藤氏はそういいます。
そして、「なぜ、○○なのだろう?」と、「本質を問う“深い思考”を習慣にする」のだと。
本書のサブタイトルである、「本質をつかみ深く考える力が身につく」とは、「なぜ、○○なのだろう?」と疑問を持つことから始まるのですね。
また、アルベルト・アインシュタインの次の言葉も紹介しています。
「大切なのは、疑問を持ち続けることだ」
いいですねぇ。
私自身がよくやっている自問のひとつに、次のようなものがあります。
「なぜ、いま、この状態なのだろう?」
この問いが氣に入っている理由は、下記のようなことからです。
~「現在の姿」は、いずれ過ぎ去っていきます。
苦難の状況にあるときも、絶好調の状況にあるときも、「いずれ過ぎ去っていく」ことになります。
すべてのものが、いずれ過ぎ去っていくのであれば、「いまここ」を「自分の答え」で生きていたい~

・第3章 自問力とは「自制力」 ― なぜ軽はずみな言動をしてしまうのか?
(第3章はカットします)
■第4章 自問力とは「自整力」
齋藤氏はいいます。
「自分の“体に問う”という自問で、体が発するSOSを察知する-。
“聞く”という言葉には“他者の話に耳を傾ける”だけでなく、“内なる自分の声を聞く”という使い方もあります」
いいですねぇ。
この「自分の“体に問う”」ことは、私自身もとても大切にしている“感覚”です。
なぜなら、いくつかnote記事にもしていますが、人間は、「思考」ではなく「感覚・感性」こそが自分自身だからです。
この「感覚・感性」に寄り添うことなく、「思考」を優先させる生き方をしていては、いつまでたっても、「成幸」は訪れません。
また、齋藤氏は次のようにもいっています。
「遺伝子レベルで自問して、自分のストロングポイントを認識する-。
自分の体に問いかける-。
自問をさらに突き詰めて“自分の遺伝子”に問うてみる-。
私は以前から、生活のなかに“自分の遺伝子に問う”という自問を取り入れています」
いいですねぇ。
私自身も、これまで何度も、次の問い、「私はなぜこの特徴を持って生まれたのか?」
と“遺伝子の意図”を感じてみるということをしてきました。
それは、齋藤氏のいう「ストロングポイント」、つまり、「強み」を知り、その「強み」が活かせる“場所”を見つけるためです。
だって、その“場所”こそが、素の自分で生きられる環境なのだから。
齋藤氏は、第4章の結びとして、次のようにいっています。
「自分のストロングポイントを活かして、自分らしく仕事をするべきという時代になってきています。
これからのキャリア戦略、人生戦略は“遺伝子レベルで自問する”時代です」

■第5章 「自問する力」を伸ばす
齋藤氏はいいます。
「自分への問いは“メタ認知=自己観察”から始まる-。
自分に問いかける力(自問力)とは、メタ認知の能力を高める非常に重要なファクターになります。
なぜなら自問自答とは、自己観察すなわち“もうひとりの自分”と対話することだからです」
いいですねぇ。
私たち中高年は、意識できない(潜在意識の)「思考パターン(思考クセ)」をいつの間にか身に付け、無意識のうちにそのパターンを使いまわしています。
なので、人は、「思考パターン(思考クセ)」を変えない限り、行動パターンも変わることがありません。
つまり、現状を変えるには、まず、自分の「思考パターン(思考クセ)」を知り、パターンを変えていくことをしなければなりません。
その方法のひとつが、「メタ認知」です。

■おわりに
齋藤氏はいいます。
「すべての思考は“問い”から始まる-。
自問してこそ、人-。
“人間は考える葦である”と言ったのはフランスの思想家パスカルです。
その表現を借りるなら、“人間はひとくきの葦にすぎず、自然のなかで最も弱いものである。
だが、それは『自問し、思考し、自制する葦』である”とも言えるのではないでしょうか」
いいですねぇ。
私たち中高年は、自分ではない、他の何者かになろうとしてもうまくいかないのです。
もはや、「社会通念」や「世間体」、「古い信念」や「思い込み」などといったものを、手放さなければいけません。
人は、「誰かの答え」を自分に当てはめても、それは、枝葉にはなっても、つぼみにはならないのです。
ましてや、花を咲かせる(成幸する)ことはないのです。
自分の本質(本性)に向き合い、つき合っていくためには、「他問他答」ではなく「自問自考」が大切なのです。
最後に、内向型の中高年のあなたへ、ポール・ゴーギャンの作品タイトルをアレンジした、次の「しつもん」を贈ります。
「あなたはどこから来たのですか?」
「あなたは何者ですか?」
「あなたはどこへ行くのですか?」

