7分で知る名著「人生の意味の心理学」~ライフスタイルを知りたい中高年個人起業家へ~その②「ライフスタイル」と「共同体感覚」

拙書『鳴かず飛ばずの中高年サラリーマンが、アドラーの「人生の意味の心理学」を通勤電車で読んだら・・・』(デザインエッグ社)の「はじめに」には、次のような文章があります。

いま、人生の節目である「折り返し地点」を生きている中高年サラリーマンにとっては、「人生の転換期」と「時代の転換期」という、二つの転換期に直面しています。そんな転換期のまっただ中を、多くの中高年サラリーマンは、ただただ生きていくためだけに苦悩し、あくせくしているのです。
また一方で、そんな転換期のまっただ中だからこそ、『LIFE SHIFT(リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット著、池村千秋訳 東洋経済新報社)』のような、新しい人生にシフトさせて生きるというコンセプトの本が、ベストセラーになったりしています。
それは、いかに多くの人が、「このままの生き方でいいのだろうか」、「一回限りの自分の人生をどうしていくべきか」という思いを持っており、新たな生き方へシフトするためのヒントを探し求めているといえるでしょう。それらのことは、多くの中高年サラリーマンが会社に“依存”するという状態ではなく、“自立”した状態へとシフトさせることを欲しはじめているということでもあります。また、時代がそれを後押ししているということもいえるのです。
そして、そのような状況は、「アドラーの思想」への目覚めであるともいえるのです。なぜならば、“依存”ではなく、“自立”した人間になるということこそが、まさにアドラーのいう「人生の意味」の根幹をなすものであるからなのです。

ご興味あれば、ぜひ電子書籍をお読みください。
さて、アルフレッド・アドラーの著『人生の意味の心理学』についての独自に解説、今回は、3回のうちの2回目をお伝えしていきたいと思います。

「人生の意味の心理学」解説のストーリー(目次)は次の通り。

「人生の意味の心理学」解説のストーリー(目次)
Ⅰ.『劣等感』について・・・
①人類発展の原動力は劣等感
②個人の成長の原動力は劣等感
Ⅱ.『目的論』について・・・
①決定論と目的論
②生き方は「トラウマ」に関係ない
Ⅲ.『ライフスタイル』について・・・
①虚構であり有用であるライフスタイル
②早期回想とコモンセンスからみるライフスタイル
Ⅳ.『共同体感覚』について・・・
①私的論理と共同体感覚
②社会的に有益な人のパーソナリティ
③かけがえのない仲間
Ⅴ.『人生の課題』について・・・
①取り組むべき3つのライフタスク
②交友の課題、仕事の課題、愛の課題に共同体感覚は欠かせない
Ⅵ.『勇気づけ』について・・・

Ⅲ.『ライフスタイル』について・・・①虚構であり有用であるライフスタイル

アドラーによれば、「ライフスタイル」とは、幼少期に形成されるその人の根本的な生への態度、言い換えると、人生をどのように意味づけしてどのように生きるかという、その人独自の生き方のことをいいます。そして、この「ライフスタイル」とは、その人の選択や意味づけによって形成されたものなので、いわば一つの“虚構”であると言えます。
アドラーは、この“虚構”の例えとして、「本来地球上に子午線※は存在しない」と表現しています。“虚構”である子午線ですが、私たちにとってはとても有用なものなのです。(※地球儀などに描かれている南北を縦に結んだ線)

アドラーはいいます。
「ライフスタイルは虚構である。だから不適切なライフスタイルは再構築が可能なのだ」
ライフスタイルは虚構であっても、私たちにとってはとても有用なものなのです。ということは、そのライフスタイルは、社会に適応した適切なものであるべきです。社会に適応できない不適切なライフスタイルを持ってしまっている場合は、自らがそのことに気づきさえすれば、そのライフスタイルを再構築することは可能なのです。(なぜならライフスタイルは虚構だからです)

②個人の成長の原動力は劣等感

アドラーはいいます。
「人の最初の記憶がその人の主観的な人生の出発点であり、自分自身が描く自伝の始まりである」
ここでアドラーのいう「主観的な人生」や「自分自身が描く自伝」とは、その人のライフスタイルであると言い換えることができると思います。アドラーは、最初の記憶を通して、その人が何を自分の出発点としたのかを分析することで、その人が選択したライフスタイルが見えてくると考えたのです。アドラーはそのようにして、人のライフスタイルを解明していくことを「早期回想」と呼んだのです。

アドラーはいいます。
「そもそもライフスタイルと社会適応の齟齬(そご)が起きるのは、コモンセンスを使わずに私的論理を用いるからである」
コモンセンスとは、他者や社会、共同体にとって価値あるものの考え方であり、私的論理は自分だけにとって価値のある物の考え方をいいます。ここで、コラムストーリーのⅠ.『劣等感』について・・・①人類発展の原動力は劣等感 を振り返ってみると、人間は生物学的劣等性を持つ動物であり、その劣等性を補償するために集団(社会)をつくったのでした。
そうであるなら、人間が集団生活していくためには、私的論理ではなくコモンセンスに従って集団の利益を優先させなければなりません。
そこで重要になってくるのが、「共同体感覚」という考え方です。

Ⅳ.『共同体感覚』について・・・①私的論理と共同体感覚

アドラーはいいます。
「私的論理が公共財を破壊する。これでは共同体を維持していくのは不可能なのである」
ここでアドラーのいう「私的論理」とは、「自分ひとりくらいルールを乱しても共同体に影響はおよばないだろう」といった考え方のことです。「自分ひとりくらいなら(構わないだろう)」という考えを持つ人が増えてしまえば、私的論理が幅を利かせることになり、やがて公共財は失われてしまうのです。

アドラーはいいます。
「人生とは、仲間の人間に関心を持つこと、全体の一部になること、人類の福利にできるだけ貢献することである」
この言葉こそが、まさに「共同体感覚」の基本となる姿勢、生き方なのです。
一方で、アドラーは、「共同体感覚」の欠落した私的論理の姿勢について次のようにいいます。
「個人的に成功しようと努力するその目標は、虚構の個人的優越にすぎず、その達成はその個人にとってだけ何か意味のあるものにすぎない」
従って、「共同体感覚」を獲得するには、他者が共通して意味があると考えていること、すなわち、コモンセンス※に基づいて行動することで、共同体に貢献することが欠かせなくなります。(※コモンセンスとは、他者や社会、共同体にとって価値あるものの考え方)
さらに、アドラーは共同体感覚の範囲を宇宙にまで広げたのです。
「私的論理を捨てて、コモンセンスをベースに宇宙までも広がる共同体に貢献する。そうすれば、共同体感覚を得ることができるであろう」

②社会的に有用な人のパーソナリティ

実際に、私たちが目指すべきパーソナリティ(人格・個性)とは、どういったものであるのかを確認していきます。アドラーは、「共同体感覚」と「活動性」を高さ低さから、人のパーソナリティを分類したのです。そして、「共同体感覚」が「高」く、「活動性」も「高」い人を「社会的に有用な人」としたのです。
アドラーはそのタイプの人を次のようにいっています。
「有用で、正常で、人類の進化の流れに深く入り込んでいる人なのである」
これらのことから、私たちが目指すべきパーソナリティ(人格・個性)とは、「共同体感覚」を育むと同時に日々の「活動」を積極的に行うことを意識して、社会的に有用となるようにすべきなのです。

アドラーはいいます。
「共同体感覚と優越性の追求※は、人間の本性にある同じ根拠に基づいている。それは、認められたいという本源的な要求が表現するものである」(※優越性の追求とは、劣等感をカバーしようとする動き)
ここで注意すべきは、「認められたいという要求」を共同体からの目的にしてしまうと、優越性の追求と共同体感覚にギャップが生じてしまうことです。
「認められたいという要求」はあくまで利己的な追求であり、共同体への貢献とは異なるものだからです。
このように誤った目的へと、向かうことのないよう、アドラーの高弟ルドルフ・ドライカースは次のようにいっています。
「私たちは完璧を求めているのではなく、向上したいだけなのだということを心にしっかり止めておかなければいけない」
つまり、ドライカースによれば、私たちは完璧である必要はなく、不完全である自分を認める、自己受容をすることが大切なのだということなのです。

③かけがえのない仲間

同じ共同体で生活している人々は、敵であるばずがありません。そこにいる人々は、人間が持つ劣等性をカバーし、共同体を維持・発展させていくための仲間です。上下関係であってもお互いを尊重し、対等の立場で接することが、共同体感覚を実感するための態度になるのです。

アドラーはいいます。
「同志・同僚(人々)は平等でなければならない。同志・同僚(人々)が平等であるならば、人々は常に人々の諸問題を解決する方法を見つけ出すであろう」
そして、相手と対等の立場に身を置く方法については、アドラーの高弟ウォルター・ベラン・ウルフが、寓話「町の馬鹿とどこかへ行ってしまったロバの話」を紹介しています。
その寓話では、逃げ出してしまったロバを町の人は誰も見つけられずにいましたが、「お馬鹿」呼ばわりされている男がロバを見つけて、次のようにいうのでした。
「ロバがいなくなったと聞いて、私はロバの小屋へ行き、自分がロバだとしていろいろ考えてみたのです。そして、行きたいと思うところへ行くと、そこにロバがいたのです」
つまり、ウルフによれば、「お馬鹿」呼ばわりされていた男は、相手と対等の立場に身を置くという点で、町の誰よりも優れていたということです。
そして、そのことは、アドラーのいう「他人の目で見、耳で聞き、心で感じることを学ぶ」という態度そのものなのです。
従って、自分自身の不完全さを受け入れ、共同体に属する人々を「仲間」と考えられるようになったなら、実際の行動で共同体の利益に貢献するということが大切なのですね。

まとめ② アドラーの言葉

・「使い続けたライフスタイルが支障をきたしても、人はそれを変えようとはしない。現実をねじ曲げてでも、自分は正しいと思い込むのである」
・「変える勇気さえあるのならば、私的論理に基づくライフスタイルを、コモンセンスに基づくライフスタイルに変えられるのだ」
・「自分だけでなく、仲間の利益を大切にすること。受け取るよりも多く、相手に与えること。これが幸福になる唯一の道である」
・「誰かが始めなくてはならない。見返りが一切なくても、誰も認めてくれなくても、「あなたから」始めるのだ」
・「ちょっとした人助けで人の人生は大きく変わる。勇気を出して、一歩を踏み出そう」
次回は、『人生の課題』『勇気づけ』についてお伝えしますね。

売れる個性の専門家/幸せな個人起業家コンサルタント 松﨑豊

売れる個性の専門家/幸せな個人起業家コンサルタント 松﨑豊

「自分らしさ」を求めて50代半ばで脱サラして起業も、「こんなはずじゃなかったのに…」となる。そのときに、そのときから、「本当はどうしたいのだろう?」「何のため、誰のためなのだろう?」と、自分で出した問いに自分で考えて答えるということを何度も繰り返す。そして、ビジネスは自分のパーソナリティ(個性・経験)に結びつていないと続けられないものなのだと氣づく。そのようにして、自分に問いを立て自分で深く考えること(自問自考)で引き出した、自分の「個性と経験」を活かしていったところビジネスが回りだす。現在は、その経験を「個人講座」として体系化し、中高年個人起業家の「幸せな成功」に伴走している
パーソナリティビジネス成幸研究所 代表  松﨑行政書士事務所 代表

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