7分で知る名著「葉っぱのフレディ~いのちの旅~」~自分という存在に氣づきたい中高年個人起業家へ(自己受容は大切)

今回は、レオ・バスカーリア作(みらい なな訳)の「葉っぱのフレディ ~いのちの旅~」 より紹介します。
葉っぱである「フレディ」が、自分という存在に氣づき、成長し、「変化するって自然な事なんだ…」と自己受容していくお話です。

「変化すること」は「永遠の命」へとつながるということ。そのことを、葉っぱの「フレディ」と「ダニエル」の会話を通して、わかりやすく語りかけてくれます。

「変化しないもの」はひとつもない

主人公のフレディは、春の日に大きな木の枝に生まれた葉っぱです。春、夏と楽しく過ごした葉っぱたちに、やがて秋、冬が訪れます。そこで「死」というものを考えはじめるのです。
「死」を恐れるようになったフレディに、親友の葉っぱであるダニエルは次のようにいいます。

「まだ経験したことのないことはこわいと思うものだ。でも考えてごらん。世界は変化し続けているんだ。変化しないものはひとつもないんだよ。春が来て夏になり秋になる。葉っぱは緑から紅葉して散る。変化するって自然なことなんだ。きみは春が夏になるときこわかったかい?緑から紅葉するときこわくなかったろう?僕たちも変化しつづけているんだ。死ぬということも変わることの一つなのだよ」

「死ぬということも変わることの一つ」
葉っぱのダニエルはそういいます。

人生を全うしていく中で、実は自ら変化しつづけている

自然の大きな流れの中で、全ては変化していく。それは人間とて同じことです。なにもかもが、ずっと同じではいられないのです。

アメリカの精神科医であったエリザベス・キューブラー・ロスは、人生には「喪失」という要素がついてまわるといいます。
「われわれのほとんどは、人生が喪失であり、喪失が人生であることを理解せずに、喪失に抵抗し、それと格闘しようとする。喪失は人生で最も苦しいレッスンのひとつではあるが、人は喪失なくしては成長できず、喪失なくして人生を変えることはできない」

キューブラー・ロスのいう「喪失」するものとは、「変化したことで失う変化前の状態」のことです。私たちは、人生を歩んでいくうえで変わり続けています。そして同時に、何かを失い続けています。
変わることで楽しいこと、うれしいこともあれば、変わることで悲しいこと、辛いこともあります。しかし、それは、人生においてバランスの取れたこと(トレードオフの関係)なのです。

「いのち」は永遠に生きている

フレディは、続けてダニエルに質問しました。
「この木も死ぬの?」
ダニエルは言いました。
「いつかは死ぬさ。でも“いのち”は永遠に生きているのだよ」

「いのちは永遠に生きている」とダニエルはいいます。ひとつの葉っぱとして見ると、「いのち」は尽きてしまいますが、遺伝子は受け継がれ、そのつながりは続いていきます。また、たくさんの人の記憶に残り続けるのです。

・・・と、いう考え方もあるかと思います。しかし、

もっと大きな「全体のいのち」が存在している

ここで、イギリスの哲学者であったフランシス・ベーコンの次の言葉を検証してみたいと思います。
「すべてのものが変化するのは明らかだが、実際には消え失せるのではない。物質の総量はつねに同じだ」

その言葉と、葉っぱのダニエルの「死ぬということも変わることの一つ」という言葉を重ね合わせて考えるとすれば、次のような仮説が成り立つのではないでしょうか。
「死んでも実際には消え失せてしまうものではない」

ひとつの葉っぱとして見ると、「いのち」は尽きてしまいます。しかし、もっと大きく木の全体を見ると、「いのち」は一つひとつという考え方ではなく、もっともっと大きな「全体のいのち」が存在しているのではないか、という観点へ行き着きます。

葉っぱのフレディは、冬になって地面に舞い降りていくとき、大きな木の全体の姿を見ます。そして、枯れ葉となったフレディは、やがて土に溶け込んで、大きな木を育てる力になるのです。

まとめ

絵本の最後に、次のような記載があります。
『大自然の設計図は、寸分の狂いもなく「いのち」を変化させ続けているのです』

「いのち」は、一つひとつ存在しているのはではなく、大きな「全体のいのち」から借りているものであって、いずれは元の「全体のいのち」へと還るものなのだ、と考えることもできそうです。(その還る場所のことを“ゼロ・ポイント・フィールド”と呼んでいる説もあるようです。“ゼロ・ポイント・フィールド”については、また別のブログで取り上げたいと思います)

【サン・テグジュペリ(フランスの作家)の言葉】
「一滴の水が、どうして己を大河と知るであろうか?だが、大河は流れているのだ。樹木を作る細胞の一つ一つが、どうして己を樹木と知るであろうか?だが、樹木は伸び広がっているのだ」

売れる個性の専門家/幸せな個人起業家コンサルタント 松﨑豊

売れる個性の専門家/幸せな個人起業家コンサルタント 松﨑豊

「自分らしさ」を求めて50代半ばで脱サラして起業も、「こんなはずじゃなかったのに…」となる。そのときに、そのときから、「本当はどうしたいのだろう?」「何のため、誰のためなのだろう?」と、自分で出した問いに自分で考えて答えるということを何度も繰り返す。そして、ビジネスは自分のパーソナリティ(個性・経験)に結びつていないと続けられないものなのだと氣づく。そのようにして、自分に問いを立て自分で深く考えること(自問自考)で引き出した、自分の「個性と経験」を活かしていったところビジネスが回りだす。現在は、その経験を「個人講座」として体系化し、中高年個人起業家の「幸せな成功」に伴走している
パーソナリティビジネス成幸研究所 代表  松﨑行政書士事務所 代表

関連記事

RELATED POST

この記事へのコメントはありません。

PAGE TOP
MENU
お問合せ