今回は、拙書『鳴かず飛ばずの中高年サラリーマンが、アドラーの「人生の意味の心理学」を通勤電車で読んだら・・・-いまから人生を大逆転させる、“アドラー流”令和時代の生き方・働き方-』を紹介します。ご興味あれば、ぜひ電子書籍をお読みいただければと思います。
本書は、自分軸を見つけることで、「鳴かず飛ばず」の状態を打破するための現代中高年向け啓発書(哲学書)です。また、中高年という人生における転換の時期を、どうすれば主体的に生きていくことができるのか、といったことへのヒントを、アドラー哲学を基調にしてわかりやすく解説しています。
内容は、著者自身が中高年サラリーマンとして過ごした40代に、「人生の意味」を求めて10年間苦悩したという実体験をもとに構成されているものです。
人生が鳴かず飛ばずになる原因は、「私的論理」の考え方をしていることにある。
本書では、アドラーの思想をもとに、人生において「鳴かず飛ばず」になる原因のひとつを、「私的論理」の考え方であるとしています。「私的論理」の考え方とは、自分の利益、自分の欲求を最優先して行動することです。(この反対の考え方が、「共同体感覚」基調の考え方です)
若いうちは、新しい経験や昇給などを通じて、自分の欲求を満たしながら生きていくことができるでしょう。しかし、中高年ともなると、次第に私的論理だけでは充足することができなくなります。
例えば、出世の道が閉ざされた、給料が上がらない、自分より若い人が上司になる、予期せぬ転勤などの体験は、これまで満たされてきた私的論理の欲求が断ち切られていくことであります。
また、役職に就いた、マイホームを購入した、目安としていた年収に達したなど、私的論理からの欲求を満たしきってしまい、その目標を失うことで「鳴かず飛ばず」になることもあるのです。
承認という「私への執着」から、貢献という「他者への関心」へ
では、鳴かず飛ばずの状態からどのように脱却すればいいのでしょうか。
それには、まず、少なからずのサラリーマンが持っている既成概念(固定観念)のひとつ、「人生の意味は働いて社会的に成功すること」であるとする先入観の枠から外れることが必要です。なぜなら、行き詰まる大きな要因として、「承認欲求による呪縛(じゅばく)」があるからです。「社会的に成功すること」は「世の中から承認されたこと」であるという「呪縛(じゅばく)」に取りつかれているからです。そして、そのことに自ら氣づき、自分の世界観(エゴ)を「私への執着」から「他者への関心」へと、変えることが重要なのです。
アドラーはいいます。
「人生が困難なのではない。あなたが人生を困難にしているのだ。 人生はシンプルで思い通りである」
「未来を定めると、現在が動きはじめ、過去が変っていく」
チベット密教には、「時間は未来から過去に流れている」という考え方あります。
その考え方は、私たちが信じている「原因が過去にあり、結果が未来にある」という因果律とは反対の、「原因は未来にあり、現在はそこへ向かう途中の結果である」というものです。そして、それは言い換えれば、「過去のトラウマを解き放して新しい勇気を獲得させるものである」と言うことができます。
この考え方の筋道は、次のようになります。
「未来において何かの目標を達成した自分がいる。そして、その未来の自分の立場から、いま現在の自分を見つめてみる。そうすると、これまでの生き方ではなく、新しい生き方へと変える必要がある」
また、この考え方は、理論物理学者の佐治晴夫氏が説いている、「未来が過去を決める、『これから』が『これまで』を決める」ということに通ずるものと思います。(この佐治晴夫氏の言葉は、こちらのブログを参照ください)
「自分らしさとありたい自分を、貢献と結びつける」ことが大切である
自分軸とは何か。
突き詰めていくと、自分のパーソナリティに氣づき、その資質を磨いていくことである、と言うことができます。そして、自分らしさとありたい自分を、「誰かのために、何かのために」といった貢献(感)と結びつけることで、自分軸は強化されていきます。
ピーター・ドラッカーは次のようにいいます。
「何によって憶えられたいかを自らに問いかけ続けていけば、自然と人生が実りあるものになる」
自分の経験に意味を与え、自分軸が何であるのかに氣づくとき、意識は依存から自立へと変貌を遂げるのです。
まとめ
本書のタイトルにある「鳴かず飛ばず」とは、一般的には「何の活躍もしないでいるさま」の意味でよく使われています。しかし、本書でお伝えしたかったことは、もうひとつの意味である「将来の活躍に備えて、機会を待っている様子」の方なのです。
本書ではこのことと同じ意味合いのものとして、「夏炉冬扇」の言葉の意味についてもふれています。夏炉冬扇とは、夏の炉(いろり)と冬の扇子(せんす)を表していますので、その時季には不用なもの、役に立たないものという意味があります。しかし、夏炉冬扇にも、もうひとつの意味があったのです。それは、「必ず出番がくるから、それに備える」というものです。
確かに、炉も扇子もタイミングがズレているだけなのであって、ときが経てば必ず出番がきます。必ず出番は来るのです。
【ヘルマン・ヘッセの言葉】
「いったいどこを歩いているんだ。そこは他人の道じゃないか。だから何だか歩きにくいだろう。あなたはあなたの道を歩いて行きなさい。そうすれば遠くまで行ける」
コメント
COMMENT