これは、本当に「私の人生」なのだろうか
~知らないうちに生きてきた「期待された人生」~
「自分らしく生きたい」
そう思ったとき、私たちはつい、「では、私は何がしたいんだろう?」と考えます。
けれど、本当に考えるべき問いはその前にあります。
「そもそも、今の私は、誰のために生きているのだろう?」
少しドキッとする問いですよね。
もちろん、私たちは自分の意思で選んできたつもりです。
学校を選び、仕事を選び、結婚や家庭について考え、住む場所を決め、会社で働き、役職を引き受け、家族を支え、
社会の中で自分の役割を果たしてきた。
その一つひとつに、自分の意思があったはずです。
だから、「今までの人生は、全部人に決められていた」などと単純に言うことはできません。
それでも・・・。
ふと立ち止まったとき、「これは、本当に私が望んだ人生だったのだろうか?」という問いが浮かんでくることがあります。
それが、人生の後半に訪れる「違和感」の一つなのです。💦💦
1.「こうするものだ」と教えられてきた
私たちは子どもの頃から、たくさんのことを教えられてきました。
勉強をする。いい学校に入る。きちんと働く。人に迷惑をかけない。
安定した仕事に就く。責任を果たす。結婚する。家庭を持つ。
出世する。老後に備える。そして、定年を迎える。
もちろん、これらが悪いという話ではありません。
むしろ、多くの人にとって、それは人生を支えてくれた大切な価値観だったでしょう。
問題は、「なぜ、私はそれを選んでいるのか?」をいつの間にか考えなくなってしまうことです。
「みんなそうしているから」「親がそう言っていたから」
「社会人なら、それくらい当然だから」「この年齢なら、こうあるべきだから」
そうやって、少しずつ「こうするべき」が増えていきます。
そして氣付くと、「こうしたい」よりも「こうするべき」のほうが、自分の人生を動かす力を持っている。
そんな状態になっていることがあります。

2.「自分の声」だと思っていたもの
ここで、前回までのお話に戻ってみましょう。
私たちの中には、「こうしたほうがいい」「こうするべきだ」「こうしなければならない」と考える自分がいます。
それは、顕在意識による判断でもあります。
けれど、その判断の奥には、過去の経験や、周囲から受け取った価値観、
褒められた経験、叱られた経験、失敗した記憶、「こうしたら嫌われる」という学習、
「こうすれば認めてもらえる」という経験。
そうしたものが積み重なっている。
つまり、「自分で考えている」と思っていることの中にも、過去から受け取ったものが含まれている。
そう考えることができます。
これは、「自分の考えは偽物だ」という意味ではありません。
むしろ逆です。
私たちは誰でも、いろいろな人や社会から影響を受けながら、自分というものをつくってきた。
だからこそ、ときどき、「この考えは、本当に今の私が選んでいるものだろうか?」
と確かめてみる価値があるのです。
ここは、とても大切なところです。
でも、氣を付けたいのは、
「自分らしく生きよう」という話になると、
「他人の期待なんて気にするな」
「やりたいことをやればいい」
「嫌なら全部やめればいい」
という方向に進みがちになることです。
しかし、人生はそんなに単純ではありません。
私たちには家族があります。
仕事があります。生活があります。
責任があります。
長年かけて築いてきた人間関係もあります。
だから、「今日から本当の自分として生きます」と言って、すべてを捨てる必要はないのです。
むしろ大切なのは、今までの人生を否定することではなく、もう一度、自分の意思で見直してみること。
このことなのではないでしょうか。💦💦

3.「期待された自分」があなたを守ってくれた時代もあった
考えてみれば、
「ちゃんとしなければ」
「期待に応えなければ」
「人に迷惑をかけてはいけない」
という自分は、ずっとあなたの敵だったわけではありません。
むしろ、あなたを守ってくれた存在だったのかもしれません。
真面目に働いたから、信頼された。
人の期待に応えたから、仕事を任された。
我慢したから、家庭を守れた。
責任を果たしたから、周囲から認められた。
人に合わせたから、人間関係を壊さずに済んだ。
「できる自分」を育ててきたからこそ、
今の自分がある。
そう考えると、
「これまでの自分を捨てる」のではなく、
「これまでの自分に感謝する」
という見方もできるのです。
そして、そのうえで、
「ありがとう。でも、これからも同じやり方で生き続ける必要があるのかな?」と尋ねてみる。
そんな時期が、人生の後半には必ずやってきます。💦💦
4.隠れ内向型は「期待に応える人生」を生きやすい?
ここで、私たちのテーマである「隠れ内向型」に戻ってみましょう。
隠れ内向型の人は、人の気持ちを察する。場の空気を読む。
相手の期待を感じ取る。必要とされれば応える。頼まれれば断りにくい。
一人でじっくり考えることができる。周囲に合わせることもできる。
そんな特徴を持っていることがあります。
もちろん、これはすべての隠れ内向型に当てはまるわけではありません。
けれど、「周囲に適応する能力が高い」ということが、
逆に「自分の希望を後回しにする習慣」につながることはある。
そう考えると、これまでの話が少しつながってきます。
「できるから、頼まれる」
↓
「頼まれるから、応える」
↓
「応えるから、また期待される」
↓
「期待されるから、さらに頑張る」
↓
「頑張れるから、自分はこれが向いているのだと思う」
でも、本当は、「向いている」のではなく、「できるようになった」だけなのかもしれない。
そんな可能性も多いにあるのですね。💦💦
私たちは、ときどき、「得意なことを仕事にしよう」と言われます。
もちろん、それは一つの考え方です。
でも、得意だから好きとは限りません。
人と話すのが得意だけれど、一人の時間が好き。
人をまとめることができるけれど、本当は一人で集中して仕事をしたい。
相談に乗るのが得意だけれど、人の感情を受け止め続けると疲れる。
責任ある仕事ができるけれど、責任そのものを求めているわけではない。
文章を書くことが得意だけれど、人前で発表することは消耗する。
こういうことは、珍しいことではありません。
そして、私たちは「できること」を評価される社会の中で生きてきたからこそ、
「自分は何ができるか?」という問いには答えられても、
「自分は、何をすると自然なのか?」という問いには、意外と答えられないのです。

5.人生の後半だからこそ、問い直せる
若い頃には、できなかったことがあります。
生活のために働かなければならない。
家族を支えなければならない。
子どもを育てなければならない。
会社で役割を果たさなければならない。
もちろん、今でも責任はあります。
でも、人生の後半になると、少しずつ状況が変わってきます。
これまで守ってきたものを見渡す。
これまで積み重ねてきたものを振り返る。
そして、「これから先も、今までと同じように生きたいだろうか?」と考える余白が生まれてくる。
そこで初めて、「私は、本当はどうしたかったんだろう?」という問いが浮かぶのです。
これは、過去を悔やむための問いではありません。
これからを選び直すための問いです。
ここまで読んで、「では、本当の自分を見つけなければ」と思うかもしれません。
でも、私は「本当の自分」がどこかに完成品として隠れているとは考えなくてもいいと思っています。
人生の中で、「こういう自分もいた」「こんなことを大切にしていた」
「本当は、こういう時間が好きだった」「これは思っていた以上に疲れる」
「これは不思議と元気になる」
そういうものを少しずつ拾い集めていく。
そして、「これからの私は、何を大切にして生きたいのか」を考えていく。
それで十分なのだと・・・。
だから、「自分の人生を取り戻す」という言葉も、過去を全部否定してゼロからやり直す、
という意味ではありません。
むしろ、自分の人生を「再編集する」。
そんなイメージのほうが近いかもしれません。

6.人生は「やり直す」のではなく「編集し直す」
本は、一度書いたら終わりではありません。
あとから読み返して、「ここは少し長いな」「この章は残したい」
「この部分は今の自分にはもう必要ない」「ここに新しい章を加えよう」
と、編集することができます。
人生も、それに似ているのではないでしょうか。
これまでの経験は消せません。
失敗も、成功も、仕事も、家族も、人間関係も。
でも、それらにどんな意味を与えるかは、これから変えることができる。
「会社のために頑張ってきた人生」も、
「家族を守るために頑張ってきた人生」も、
「周囲の期待に応えてきた人生」も、
そこから、「では、これからの私は何を大切にしたいのか?」
という新しい章につなげることができます。
それは、過去を否定することではありません。
過去を、自分の人生の一部として受け入れ直すことです。
もし今、
「自分らしく生きたいけれど、何をしたいのかわからない」
と思っているなら、
いきなり「夢」を探さなくてもいいでしょう。
まずは、「私は、何を『するべき』だと思っているんだろう?」と考えてみてください。
たとえば、「この年齢なら、もっと働かなければならない」
「頼まれたら断ってはいけない」「人付き合いは広いほうがいい」
「役に立たなければ価値がない」「家族のために、自分のことは後回しにするものだ」
「せっかくここまでやってきたのだから、続けなければもったいない」
そんな言葉が出てくるかもしれません。
そして、その一つひとつに、「本当に?」と問いかけてみる。
答えをすぐに変える必要はありません。
ただ、「これは誰から教わったんだろう?」「いつから、そう思っていたんだろう?」
「今の私にも必要なのだろうか?」と考えてみる。
それだけでも、景色が変わってくることがあります。
7.「こうしたい」は意外と小さな声でやってくる
そして、ここで第3回の「違和感」に戻ります。
「こうしたい」という声は、必ずしも大きな夢として現れるわけではありません。
「今日は一人でいたい」「少しゆっくり話したい」
「本を読む時間がほしい」「誰かと深い話をしたい」
「仕事を少し減らしたい」「もっと自分のペースでやりたい」
「昔好きだったことを、もう一度やってみたい」
そんな小さな声かもしれません。だからこそ、聞き逃してしまう。
社会から届く声は、大きいのです。
「もっと頑張ろう」「成長しよう」「成功しよう」
「人脈を広げよう」「挑戦しよう」「まだまだ働こう」
それに比べて、「ちょっと疲れた・・・」という声は、とても小さい。
でも、その小さな声の中に、これからの人生を考えるための大切なヒントが隠れているのです。
ここまで、「期待された人生」について考えてきました。
でも、最後に一つだけ伝えておきたいことがあります。
あなたがこれまで、周囲の期待に応えてきたとしても。
「こうあるべき」という人生を生きてきたとしても。
それは、間違った人生だったわけではありません。
そのときのあなたには、そのときの理由があった。
守りたいものがあった。大切にしたい人がいた。
失いたくないものがあった。
そして、そうやって生きてきたからこそ、今のあなたがいる。
だからこそ、これからは少しだけ、「私は、どうしたい?」
という問いを、自分にも向けてあげていいのではないでしょうか。
人の期待に応える人生から、自分勝手な人生へ。
その二択ではありません。
その間に、「自分も大切にしながら、人ともつながって生きる」という道があります。
隠れ内向型にとっては、もしかすると、その道こそが大切なのかもしれません。

8.そして次に現れる問い
「これは、本当に私の人生なのだろうか?」
そう問い始めると、もう一つの問いが浮かんできます。
それは、とても強力な言葉です。
私たちの人生を、何度も立ち止まらせる言葉。
あるいは、何かを始めようとした瞬間に、「でも、今さら……」と、そっとブレーキをかける言葉。
そう。「もう遅い」です。
「今さら性格を変えられない」「今さら仕事を変えるなんて」
「今さら新しいことを始めても」「もう若くないから」
「ここまで頑張ってきたのだから」「残りの人生なんて、そんなに長くない」
でも・・・。
その「もう遅い」は、本当に、あなた自身の声なのでしょうか?
それとも、長いあいだ自分の中に積み重ねてきた、
「こうあるべき」という誰かの声なのでしょうか。
次回は、この「もう遅い」という言葉を、
少し丁寧に見つめてみたいと思います。
